
konayukiの理念
すべての素材を
味に変える創作
かけ合わせると壊れてしまいそうな、繊細な素材、
理論上を無理だという言われるような素材があります。
そういった素材を抱き合わせて
シフォンケーキとしてふんわり立ち上げることに挑戦しているのが
konayukiシフォンの創作です。
それはまるで・・
固くなっていた心が、じゅわっと溶けて、
未来への可能性が、ふわっとふくらむ。
そんな、人生の捉え方が変わる体験です。
うまくいったことも、
傷ついたことも、
悔しかったことも、
遠回りした時間も。
すべての「素材=経験」が美しく重なり、
その人だけの味となって、
未来がゆっくり形作られていくのです。
繊細な素材を、感覚の力を使って、
全部抱き込みながら、焼き上げる。
作る人も、食べる人も、関わる人も、
自分の中にある「繊細な心」「繊細な経験」を大切に扱いながら、
「私の人生も、まだふくらむかもしれない」
と可能性を感じられるように。
これが、シフォンケーキを通して届けていきたい
「konayukiの創作」なのです。
理論上はとても難しい
米粉シフォンを開発していた時期、
製菓理論の先生に相談を持ちかけたことがありました。
米粉で。
ノンオイルで。
そこに季節の果汁を入れて。
レモンやパイナップル、キウイのような、
香りも水分も酵素もある素材を使って。
それでも、ふわっと軽く、
口どけるシフォンを作りたい。
私の中には・・・
まだ形にはなっていないけれど、
確かに見えている理想のシフォンがありました。
ですが、その話を聞いた先生は、
おっしゃったのです。
「その配合では難しいのでは」
製菓理論上、
米粉も、ノンオイルも、季節の果汁も、
シフォンをふくらませるには、とても扱いにくい素材だからです。
米粉は、小麦粉とは異なるので、
オイルを使わなければ、しっとり感を出すのは難しいですし
果汁の水分は、生地を重くします。
レモンの酸味や、パイナップルやキウイの酵素は、
メレンゲの繊細な構造を壊してしまうことも有名な話。
普通に考えれば、
「膨らまない」
「崩れる」
「やめた方がいい」
と言われても仕方のない組み合わせでした。
でも、私は、どうしても諦めることができなかったのです。
その素材にしか出せない味
果汁を減らせば、安定するかもしれません。
酸味を弱めれば、失敗しにくくなるでしょうし、
扱いやすい素材だけにすれば、もっと簡単にふくらむと思います。
でも・・・・
それでは、私が本当に届けたかった味も香りもが消えてしまう。
食べた瞬間に、
「あ、レモンだ」
「あ、果物の瑞々しさだ」
と心が動くような、
その素材にしか出せない味を、どうしても創り上げたかったのです。
酸味も、
水分も、
酵素も、
苦みも。
ふくらみを邪魔するかもしれないものを、
邪魔者として切り捨てるのは簡単です。
でも、そこに、本当の意味での創作はありません。
どうしたら壊さずにシフォンになるのか、探し続けました。
強く混ぜすぎれば、気泡は潰れます。
怖がって弱く混ぜれば、素材はひとつになりません。
焼きが甘ければ陥没しますし、
火を入れすぎれば、理想の口どけから遠ざかります。
何度も焼きました。
うまくふくらまない日も、
思った香りが出ない日も、
口どけが重くなる日も・・・
それでも、私の中の「感覚」は、
ずっと私に訴えかけてくるのです。
「できるはず」
理論では無理だと言われても、
自分の手の感覚が、
自分の舌が、
自分の中にある理想が、
まだ諦めていませんでした。
感覚の追求
そうして、何百台も焼き続ける中で、
私は少しずつ見つけていきます。
素材をねじ伏せるのではなく、
壊れないように抱き込む、
その手の感覚。タイミング。
酸味を消すのではなく、爽やかさに変えること。
水分を邪魔にするのではなく、じゅわっとした余韻に変えること。
苦みを怖がるのではなく、香りの深みに変えること。
本来なら相反する素材を、
ひとつの軽やかな食感へと立ち上げていくこと。
その「感覚の追求」こそが、粉雪シフォンの原点です。
「無理」と言われた素材を消さず
あの日の感覚を信じたからこそ
今のkonayukiがあります。
壊れそうなものを、壊さずに。
扱いにくいものを、避けずに。
その素材にしかない味を信じて、
ふわっと立ち上げていく。
konayuki の創作は、まさに、そんな創作です。
人生も、きっと同じ
苦しいことがあったとき、
傷ついたことがあったとき、
本当は分かっているのに、素直に受け取れないとき。
分かっているけれど
どうしても出来ない、素直になれないことがあります。
そこで正論だけを重ねても、
人の心はふくらまないんだ、ということを、私はここ数年で
山ほど体験しました。
「こうでしょう」
「それは違うでしょう」
「ちゃんとやりましょう」
たとえそれが正しいことだったとしても、
そこに、しんどい、早く分かってほしい、
そんなこちら側の感情が乗ってしまうと、
相手の心はもっと閉じてしまうことがあります。
本当は、ご本人がいちばん分かっているのかもしれません。
- こじらせていること。
- 素直になれないこと。
- 迷惑をかけているかもしれないこと。
- 本来の自分は、こんな姿でいたいわけではないこと。
それでもそうなってしまうのは、
その人の中に、今にも壊れそうな「繊細な感情」があるからです。
だから私たちは、
その人を「弱い人」として見たくありません。
「めんどくさい人」
「感情が乱れる人」
「分かってくれない人」
そんなふうに見て終わらせたくないのです。
konayukiには、
壊れそうな中で、
それでも何とか保ちながら、
ここまで積み上げてきたものがある。
普通なら諦めてしまうようなところを、
それでも必死にやり抜こうとしてきた歴史がある。
その繊細さの奥にあるのは
「その人にしかない個性」です。
私たちは、その「個性」の方を、ちゃんと見たい。
そうやって、ここから、仲間とともに
繊細をも抱きしめるような、
そんな場所を作っていきたいと思います。
粉雪シフォンを作る人が、
自分の中にある壊れそうなものを、
壊さずに抱き込めるように。
それを食べた人が、
自分の心の中にある繊細なものを、
もう一度、大切にしてみようと思えるように。
そして、関わる人たちが、
お互いの弱さや揺らぎを責めるのではなく、
その奥にある本当の強さや可能性を見つめ合えるように。
繊細な創作を通して、
やさしい世界を一緒につくっていきましょう。
直子
